父が肺がんになりました。

呑気な父が突然の肺がん宣告。ステージIV。

思うようにならん(´•ω•`)

3回目の入院&抗がん剤

予定通り胸水をちゅーっと抜いて、すぐさま抗がん剤を注入し、はい5日で退院。

 

と、なったのだが。

 

退院の前の日に父から電話があり

 

「来月から抗がん剤変えたいから、その件で娘さんと話したいって先生が言ってるんよー」

 

少し早めにお迎えに向かい先生と話す。

また、データを見ながら説明室でだ。

 

この間聞いたように、抗がん剤はがん本体を小さくしてくれたものの、胸水がでろでろ出てくるのが加速度的に酷いらしい。

3回目を打ってみたが、どうやら抗がん剤を変えた方がいいのでは、とのこと。

となると、ほぼ最初からやり直し状態なので、次回の入院はまた1ヶ月...。

絶望顔の父(´・д・`)

 

先生:「肺を癒着させるのも、今度は違う薬でやります」

 

とのこと。

こっちも違う薬あるんだー。

 

今度の抗がん剤の名前は「カルセド」。

うまいこといったら、それは3週間毎にずーっと打っていいらしい。

っても限度はあるのだろうが。

 

今度のも副作用がたいしたことないといいけど。

気持ち悪くなって、ご飯食べられないとか可哀想だもんなー。

 

検査と診察。

退院して2週間経たずにレントゲンと造影CTを取りに行った。
1度目はあんなに騒いだのに血液検査はせず。
そうゆうもんなのか。
この日はほんとに撮っただけ。

1週間後、先生の診察。

こないだ撮ったレントゲンとCTと、治療始める前のそれらを比較して見せてくれてわかりやすい。
てーか、文明の利器ってすごいなー。

どうやら、がん本体はかなり小さくなっているようだが、せっかく採った胸水がかなり溜まっているとのこと。
父も少し散歩したり階段登ったりするとハーハーすると言っている。
癒着させて出なくなる予定だったのだが、父の場合は効果が薄かったようだ。

今度入院する時は、胸水を注射でチューっと抜くだけにして、抗がん剤を入院の日から始め、五日後には何も無ければ退院してよいとのことだった。

予定は未定だが、それくらいなら楽でいいな。

4回抗がん剤打ったあとは、時々診察に通いながら、様子を見てまた違う抗がん剤をやることになるだろうとのこと。それの副作用が良くない出方をしたら、今の抗がん剤に戻すかもと。
がんが小さくなったのだから、そこで放射線治療とかは?と先生に聞いたら

「それは標準治療ではないです」

と、言われた。
なんかどこかで小さくしてから手術って聞いたことあるけど、もうリンパに転移しちゃってるから意味ないのか。
ただ、がんが大きくなって器官?を塞いじゃうようなことになったら、なんらかの処置をすると言っていた。

うーむ(。 ー`ωー´)
ほんとにこれからどうなるか未知数すぎて、父が副作用もなく朝からカレー食べてるのを見てると

父ががんなこと忘れちゃうんだよねー(´•ω•`)

やっと退院。

父が先生に聞いて金曜日退院となった。
1週間でさくっと帰る予定が丸々3週間。
何がと、言うわけではないが地味にキツかった。

父がきついのはもちろんだが、お見舞いに行く家族にもいろいろある。

うちの場合は病院の場所。
父母の家から車で丸々1時間。
父は免許を持っているが母は持っていない。
電車バスを乗り継げば行けないこともないが、母は口は達者だが足が悪く500メートル歩くのがやっとくらい。
田舎単線なので本数も少ないし、そこから30分バス。
不可能ではないが…。

で、私の登場な訳だが私は嫁に行ってて実家からまるっと2時間。朝のラッシュ時などは混んでるし、オマケに実家は観光地とあって週末の朝の移動など自殺行為。
ので、いつも病院に行く前の晩の夜遅くに移動している。

まあ、これでもいいほうなんだろうなー。
私はバイトしていたのを辞めなきゃだったが、まあ潮時でもあったし、子供もいないので家を留守にするのはそんなに大変じゃないし。
病院も遠いけど今どき珍しく駐車場タダで空いてないってこともない。今はこんな田舎で駐車料金取るんかい!って場所でも病院でも平気で取るもんね。

面会時間も一応決まっているようなのだが、それ以外の時間に行ってもなんにも言われない。
なんだか記帳しなきゃみたいのに途中で気づいたが何も言われないので記帳したこともなく('・_・`)

いい感じで緩い病院だ。先生も看護師さんたちもソフトだし。
もっといい治療という面では言ったらキリがないのだろうが、うちには父にはあっているのではないだろか。

無事退院。
次の入院は1ヶ月後。
その間に検査と先生の診察で通院はする。

あと2回入院して抗がん剤やるらしいのだけど、そのあとってどうなるのかなー。
今度先生に聞いてみよう。

今度こそ?

私:「ガッカリするのも疲れたから先生がドレーン終了と言っても話半分で聞こう」

 

とネガティブな提案を父にしたわたくし。

いいのか悪いのかわかんないけど、父は同意し達観してくれた。

さすがよく似たネガティブ親子(o・・o)/

 

そして5度目の正直ぐらいでやっとドレーン終了になり、癒着させる薬投入となった。

これはすぐ終わったらしい。

副作用で熱が出るかもとの事だったが、父全く何もなし。

 

で、それした翌週から待望の抗がん剤

2クール目。

成分は1クール目と同じとのこと。

 

先生:「週末には退院して大丈夫です」

 

じゃあ、と父は金曜日に退院するんだー、と私に言うが、私の中で週末って土日。

父の中では金土。

 

私:「先生に金曜でいいか、ずばっと聞けばいいのに」

 

父:「うーん」

 

なんで父は先生にあまり聞かないのかな?と思うのだけど、言われてもわからないという恐怖心?があるみたい。

先生も看護師さんも、ちょっと年寄りは使わない聞かない単語をさらっと言うことも多いからそうなっちゃうのかも。

 

ある日、

看護師さん:「~はカンファレンスなんです」

父:「ふーん」 (絶対わかってない)

 

ああ、こういう事なのか、とこっそり納得したのであった。

 

 

肺を癒着させるとは

肺というのは一層の膜で肺が成り立ってるのでなく、ざっくり言うと肺本体とそれ覆う外膜があるようで、その間にある胸膜腔と言うところに水や空気が溜まるらしい。

で、それを出なくするためにそこに炎症をわざと起こさせる薬を投入すると癒着して水が出なくなるらしい。

 

先生:「これは世界的にも安全に行なわれてる処置ですので大丈夫です」

 

へー。

が、それも今ある(でる)水がある程度少なくならないと出来ないとの事。

 

来る日も来る日もぼーぜんと胸腔ドレーンさんに水を抜かれ続ける父。

 

数日毎に先生は

「明日ドレーン抜きます(*^ω^*)」

「まだですね。明後日まで様子見ましょう('・_・`)」

とおっしゃる。 

 

いや、わかってます、仕方の無いことだとは。

でも、喜びガッカリを繰り返す日々は地味に辛かったなー。父はもっとだろうけど。

 

が、今回は大部屋(っても2人部屋)で、もう1人の人とも馬が合ったらしく前ほどは辛そうじゃなかったかな。病室の前を人が往来するのも賑やかでいいと。

 

私なら一人部屋のが絶対いいけどいろんな人がいるね。

再入院。

退院からちょうど一週間後、初抗がん剤から4週間経った日に再入院した。

当初の予定では入院から三日後から抗がん剤投与で一週間後には退院だったのだが。

先生:「肺からの水がかなり出てるので先に抜きますね」

1番最初もそうだったようなのだが、どこぞの処置室でちゅーっと抜けるらしい。

で、三日目。
たまたま私が病院に行く日だったのだが、父は点滴用の管を差しっぱなしにし、(最近は先に針部分ユニットを刺して、液剤からのチューブとその都度コネクトしてるので針刺し直すとかがなくて便利)ボーゼンとしていた。

父:「なんか、まだ水が出てるから管さして抜くんだと(´•ω•`)」

抗がん剤点滴の用意までしたのに…。

先生:「しばらく様子みて水が出なくなったら、肺を癒着させて水が出ないようにします」

へー、そんな技が。

先生:「抗がん剤は早くても来週ですかね」

すでに予定を過ぎてますがな(´•ω•`)

しかし、これはほんの始まりに過ぎなかったのである…。

つかの間のシャバ。

次の抗がん剤のための入院までちょうど一週間。
つかのまのシャバを満喫するかと思いきや、

父:「膝がガクガクして歩きづらい(´•ω•`)」

と、家の中で放心状態で過ごしてばかりだった。
これじゃ、入院してるのと変わらんじゃんか(・・;)

長い間隔離されて過ごしたせいで、筋力が落ちてしまったのだろう。
歩けなくなるというのは年寄りにとってもっともダメージだと思っているので、

私:「辛いのはわかるけど、家の中だけでもいいから少しずつ歩いてね」

父:「(゚ー゚)(。_。)ウンウン」

…。

人が家に訪ねてきても、面倒くさがってあまり会いたがらない父。
ちょっと不安になったが、何日か経ったら近場まで車で出かけ、知りたいにも会いに行ったそうなのでほっとした。

あれだけ、隔絶された生活するとその後の復帰にも時間かかるのかもなー。
長い入院はやっぱり嫌だね。